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2009年07月

東京タワー 僕と母との物語

2007年1月7日
母の葬儀を終えた後、芝浦公園に
行き見上げた東京タワー。
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最近では第2東京タワー、
スカイツリータワーが下町に
出来つつありますが
僕と母にとって東京タワーは
忘れられない建物に
なりました。
僕は母子家庭で育ちました。
幼稚園の頃、酷く酔っ払った父は
夜中に帰ってきて玄関で大声を出し
喚き散らし迎えに出た母をいきなり
レイプしました。
大きな物音と母の悲鳴を聞いて
泣き叫ぶ僕の足元で
父は母を犯し続けました。
それが、母と父と僕の3人が暮らしていた
最後の記憶です。

数日後、母は、酒乱の父と決別、
幼い僕の手を引いて実家に。
女手一つで僕を育ててくれました。
酒乱の父から解放された母はまだ若く
美しい女性でした。
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女性の身体って・・・

最近暑いです。
でこんなの見つけたんで
張っておきます
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女性の体なのに道祖神のようにも見える。
いやー、人間の体って不思議ですねえ

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母とはいいものです

僕は25歳、母は49歳。
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母はぽっちゃりと肉付きの良い体をしています。
今年結婚したのですが、夏頃から妻と折り合いが悪く
ついに僕を新居(マンション)に
残して実家に帰ってしまいました。
僕はまだ、会社では下っ端なので、わりと残業や休日出勤に
こき使われなかなか家のことができないので、
母を新居に呼びました。
とにかく、部屋の片づけやら洗濯やらです。
夕方には見違えるほどきれいになり
やっと部屋らしくなりました。
「早く嫁を迎えにいかなきゃおまえも大変だろう?」
と母が同情してくれました。
「俺は、別に母さんが時々来てくれれば。」
「そんなこと言って。」
「浮気なんかしてないだろうね。」
「それは判らない。」
「母さん、心配?」
「あたりまえでしょ!」
「変な女と関わると、後が大変だから絶対にダメ。」
「じゃあ、母さんだったら誰にも迷惑かけないから。」
「処理してくれるって言うの?」
僕は、母の手を取って、
「俺随分と溜まって、もう限界」
「何をしろって!」
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銭湯で見た母の裸身



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昭和40年ごろまで
内風呂がある家などほとんどなかった。
だからおれの家も含め、
隣近所ではどこも夕方になると家族そろって
銭湯に行ったものだ。
おれは小学校三年生くらいまで
母や姉と一緒に女湯に入っていた。
性欲には目覚めていないから
女の裸に興奮もないのだが、
ひとつだけいつも
気になっていたことがある。
それは姉の股間についているものと
おれの股間についているものが
どうして違うものなのだろう?
姉もまだ子供だったから
タイルの上に股を広げて座ってしまうのだが、
そうするとおま×こが
ぱっくり開いてしまい、
おま×この上の方に
突起があるのまで全部見えてしまう。
おれはその突起が
気になってならなかった。
クリトリスというものだと
後で知ったが
あれはいったい何だろうと思いつつも
そこばかり見ていた。
そして母も女だから、
「母にもあれがついているの?」
母のそこも観察したが、残念なことに
見ることができなかった。
姉のように股を広げて座ることは
なかったからである。
ただ、母のおっぱいやお尻、陰毛などは
いつも見ていた。
子供の目から見ても母のおっぱいは
他の女の人より大きかったし、
それに母はスタイルも良かった。
今から思えば本当に勿体ない話。
もし性欲が芽生えていれば、毎日
興奮を覚えたことだろう。
母のおま×こだって何としても見ていたはずだ。
今でも遠い昔に
銭湯で見た母の裸体を朧げながら
思い出すことはできる。
お湯に濡れた白い肌も
むっちりした太股も
よく覚えている。
が、しかし、細部まで
どうしても思い出せない。
おっぱいは大きかったが、
しかしどんな張り具合だったか
乳首は?
陰毛もどんな具合に生えていたのか?
などといったことはほとんど思い出せない
いまでもそれが残念でならない。
小説では書かなかったが、
精神だけをタイムスリップさせ
子供の頃のおれになることは
できないだろうかと考えたことがある。
これは想像をめぐらせるだけで
楽しかった。
例えば銭湯で母の体をしげしげと
観察することもできるし、
もっと小さい赤ん坊の頃に戻れば
母のおっぱいを吸い、この手で揉むことだって
できるわけだ。
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さらに、まさに自分が生まれ出てくる
場面に戻れたら、
おれは全身を母のおま×こに
締め付けられながら、
肉ひだを掻き分けることが
できるのである。

また、人の身体へ
自由に乗り移ることができたら
楽しいだろうとも思う。
ずばり父に乗り移ってしまうのだ。
父に乗り移って母に挿入する.
それもいろんな体位で挿入できたら
最高だと思う。
おれは台所に異常に興奮するので、
「誰もいないからここでやろう」
と父の口調で言い、
母のスカートをめくってパンティを
引き下ろし、
大きなお尻をがっしりと掴んで
バックから突き刺していく.

考えただけで興奮してしまう。

または母そのものに乗り移るのもいい。
母になった自分が淫らなポーズをとって、
写真やビデオに映しておくのだ。
おま×こを思いっきり広げた姿も、
おっぱいを揉みしだいて恍惚とした顔も、
みんな記録しておける。

もっと過激に、母になった自分が
SMクラブに行き、
お客に陵辱されてみるのもおもしろい。
いや、それならいっそアダルトビデオに
出演して
大勢に輪姦されるところを
撮ってもらおうか。
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母とひとつになった時(Renew)

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母とはじめてセックスをしたのが、20年以上前。
成人式を迎えた20歳の誕生日。
母は僕が小さい頃離婚して女一人で育ててくれました。
周りから綺麗で歳より若く見えて羨ましがれていました。
30代のときは20代に見られいつも姉弟と間違えられました。
そんな母が自慢でした。
中学から高校まで僕は同年の女の子と付き合っていましたが、
その子とはじめてキスをした時何か物足りないものを感じ
それ以上進めませんでした。
その時、家で母が風呂上りにタオル1枚で歩いている
姿を見た時。
母を一人の女性として意識しました。
その後付き合っていた彼女と別れ、オナニーの種は
母になりました。
それから2,3日後には、母の下着でオナニーを
するようになりました。
高校を出て、何とか大学に入りアルバイトをしながら、
生活していましたが、二十歳の誕生日の1週間前。
母は当時42歳
しかし、30代にしか見られず、28歳くらいと
言われたこともありました
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