2ntブログ

近親相姦・母子相姦体験

母と結ばれたときのこと

ずっと好きだったがいます。
ふとしたことで女としてみていく自分、
ますますに惹かれていってしまいました。
でも関係を求めることのできないまま、1年が過ぎました。
冗談半分でクリスマスの日にホテルを予約したから
こっそりデートしない?って断られちゃう前提で聞いてみました。
まさかのOK。
ちょうど今から2年前のことです。

はXmasだからと赤い下着を着けてきてくれました。
下着姿すら見たことのなかった自分はそれだけで爆発しそうでした。

おちんちんは、今までにないくらい膨張し張り裂けそうなくらいに硬くなりました。
はそんなペニスを優しく舐め、導いてくれました。
風俗とかナンパとか、その場限りのセックスはしたことはありますが、
好きな人とセックスすることがこんなに気持ちのいいものとは思いませんでした。

でも、度々こういう関係にはなれません。
3ヶ月に1回。くらいで関係を持ってますが、正直我慢しているのが辛いです。

でも、他の女性やAVとかに興味がなくなってしまって、
射精するならを想って果てたい。

その想いが強くなればなるほど、次に関係を持った時の快感が強いんです。
隠し撮りしてバレてしまって
関係が壊れてしまうのも嫌でしたから、何度も頼み込みました。
困っていましたが、どうしても記録に残しておきたいという
僕の気持ちに負けたのか
許してくれて撮影したものがいくつかあります。
こういう事情もあり、この映像では彼女の顔にはボカシをかけています。
でも、スリムな体で柔らかい肌、妖艶さは、十分伝わると思います。
月2回くらい父にはナイショのデートを楽しんでいます。
買い物に行ったり映画を見たりがほとんどですが....。
クリスマスの夜以来、僕たちの関係は続いていました。
でも、なかなかホテルに誘い出せず、
前にアップしたXmasの動画を見ながらひとりオナニーにふける日々。
あのと2回目の関係を持てたのは、
もう桜が咲きそうな時期でした。

母との会話の中で、Xmasに撮ったのってどうしてるの?って聞かれて、、。

あれを見て毎日母を想ってオナニーしるって真顔で答えたら、
したいの?って。

セックスがすべてではないけれど、抱きたい。
それが僕の本心でした。

ホテルに入って、シャワーを浴びて、部屋を暗くしました。
僕自身も少し恥ずかしかったというのがあるかもしれません。

でも、しまった。今日もビデオ撮りたかったんだ。
Xmasにも撮れたから、特にお願いすることもなくカメラは持ってきていたんだけど
これじゃ暗すぎる。
でも、今更、明るくしようといいだせない。

そういえば、暗闇でも撮れるって機能があったっけ。使ったことはなかったんだけど。

こんな暗くて撮れるの?って聞いてくれた母。

うん。大丈夫。って答えちゃったけど、
そうだね、もう少し明るくしていい?ってその時切り返せばよかったんだよね。
母との関係は続いています。
最近はあまり撮影せずに、お互い果てるまでセックスできるようになりました。
一度射精したくらいでは、気持ちが収まらなくて、何度もなんども母の身体を
求めてしまうこと多いです。
母も、すごく感じてくれるようになって、
お互いに快楽に目覚めてしまったような状態です。
僕自身オナニーをしなくなりました。
母に包まれていた方が何倍も気持ちがいいんです!

なので、おもちゃとかを使うようになりました。

これは夏頃のことだったと思います。
水着の日焼けあとが残ってますから。

ふたりでプールに行った帰りに。
プールに行ったもんでカメラ持ってたんです。

でもやっぱり明るい部屋で撮影するのはちょっと抵抗があるみたいで。

2作目の暗視カメラみたいなのはやっぱり画質悪いでしょうし。
ちょっと暗いんですが、普通に撮ったので、色はちゃんとあります(笑)
見にくかったらごめんなさい。
自分的にはこんなのでも、母とのセックスを思い出してしまって
すごく興奮するんです。

大好きな人に身体を求められるって、ものすごく嬉しいことだなと
最近思います。
ビデオ撮りながらって、気が散っちゃうこともあって、最近あまり撮らなかったんですが、
この時は少しアルコールも入ってましたし。
それにホテルでいっしょにアダルトビデオを見ちゃったので、
興奮もMAXでした。

そのせいでしょうか。
いつもは中だし(ゴムありの時も)なんですが、
顔射っていうのをやってみたくなって。(笑)
これ難しいですね。
でも、してもいいよって言ってくれる母が大好きです。

ちなみに、ビデオ撮る前に実は1回しちゃってて。
これ2回戦目なのです。
また抱きたい。
でもなかなか言い出せないまま数ヶ月が経ちました。
食事や映画に誘い出せてもなかなか身体の関係を持てません。

少し強引に誘ったほうがいいのでしょうか。
でもそれもできない。
やっとの思い出次のデートでは抱きたいって伝えました。
でも次のデートは一ヶ月後。
覚えていてくれるでしょうか。

一ヶ月禁欲しました。
Xmasの時の動画は何度も見ていましたが、射精を寸前で我慢してました。

そしてデートの日。
待ち合わせ場所から、何も語らずに僕たちはホテルへ入りました。
後ろからついてきてきれてるか、何度も振り返って確認してしまいました。

もう会話はあまり必要ありませんでした。
抱き寄せてキスをして。
やはり恥ずかしいらしく、部屋は少し暗くしましたが、
ベッドの上にはちょうどスポットタイトが当たるようになってて。

触れるだけで母が感じてくれているのがわかりました。
フェラで爆発してしまいそうなのをこらえ、
前回、騎乗位のままいかされちゃいましたから、
最初から正常位で挿入。

母の中に入っていく瞬間がたまらなく気持ちいいです。
腰を動かさなくても、逝ってしまいそう。

母も3度目の関係ということもあって、少し大胆だった気がします。
僕のことを求めていてくれるかと思うと、
ペニスも張り裂けそうです。

すこしでも長く繋がっていたかったのですが、
禁欲していたこともあって、あっけなく大量に射精してしまいました。

そのまま、しばらく母を抱きしめて眠りました。
とても心が癒された感じです。

また抱きたい。もちろんそう思っていますが、
母と肌を重ねられるだけで十分なのかもしれないです。

ビデオを撮りたかったのは、僕がすけべだってことなんですが、
もしかしたら、もう会えなくなるかもしれないって思って、
残しておきたかったなのかもしれません。

その後、母とは何度も関係を持っていますが、最近はビデオを撮らなくなりました。
ビデオがなくても、母の香りや柔らかさ、気持ちよさ。声。
しっかり記憶しています。
また、いつか、エッチなビデオも撮ってみようと思っています。
その時は母にカメラをもたせちゃおうかな(笑)
これからも母を妻として愛し続けていきたい。
そう思っています

こちらで販売中
母と結ばれたときの事

ついに・・・51歳〇親と

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出張先のホテルに〇親を呼んでセックスしました。
しかも、生胎内出し。
思春期くらいからの夢でした。
でも全然チャンスがなく
“もし抵抗されたら・・・一緒にいられなくなる。”
という不安から想像しながらオカズにすることしか
できないまま何年間も過ごしました。
しかし、わたしが社会人になり独立して何年も経ったある日、
〇親を出張先のホテルに呼び出し遂にセックスしたのです。
最初からそれが目的で決心もついていたとは言え、
セックスしようと持ちかけるまでが大変でした。
思い切ってセックスに誘った時、頭の中は真っ白で
喉はカラカラでした。


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〇親は、
「あんた何言ってるの!」
と抗いながらも
「一回だけなら・・・」
とさせてくれた。
〇親と舌を絡め合うキスをして、クンニやフェラ。そして
生のままで挿入。
まるで夢を見ているようでしたが、
“いま〇親と本当にセックスしてるんだ”
と自分に言い聞かせながら腰を振りました。


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〇親はわたしのチンポで感じてくれて、
何度もイッていました。
息子の生チンポでイク〇親は女らしくて物凄く素敵でした。
〇親の胎内はヌルヌルで温かく何回もセックスしたいと
思いました。
挿入しながら〇親に
「また次からもやりたい・・・」
と言うと
「いいよ。、でもお父さんIは内緒だよ」
と言ってくれました。
「胎内に出てもいい?」
とダメ元で聞いてみると、
「いいよ」
と言ってくれ一気に射精感が込み上げてきました。
〇親に“一緒にイッて!”とお願いし
〇親の膣の一番深いところに思い切り射精しました。


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これは作り話などではなく、本当の話です。
〇親とセックスなどしたくないという人もいるかも知れませんが、
っとしたかったのです。
〇親とのセックスはいままでした他のどのセックスより興奮しました。
〇親はこれからもしていいと言ってくれたので、
わたしと〇親はもうセフレです。

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実話を映像化したものです
高画質ダウンロード版は以下


http://contents.fc2.com/article_view.php?id=468278

動画を見るにはこちら

母と恋人に

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僕は母と二人暮し。
先日、母と旅行に行った時のこと。
昼間あちらこちら見て回って、とある旅館に宿を取りました。
夕食の後突然母が
「ねえ、久しぶりにお風呂、一緒に入ろう。」
「ねっ」
「いいでしょ?」
といいだしました。
「何言ってるの?」
そう僕は、照れや恥ずかしさから言いました。
でも結局、母の強い希望で貸切露天風呂に行くことにしました。
お風呂は大きくて気持ちのよいもので、
時間が早いせいか僕達母子以外に
客は見当たりません。
母親とはいえ、女性の裸体を生で見るということになれていない僕は
どうしても母の身体が気になり、ちらちらと盗み見てしまいます。
以外にも母は結構胸が大きくて、それが視界に入って思わず、
僕は勃起していました。
いざ体を洗う段になり
並んで体を洗っていたんですが、どうしても僕のものは元気一杯で
収まってくれそうにありません。
母が、
「さとし。」
「どうしたの?こんなになって。」
当然、母に気付かれてしまい、そう言ってきました
僕は
(言い訳しなきゃ・・・。)
と焦っていたら、
「へえー、お母さんにでもこんなになるんだね(苦笑)。」
悪戯っぽく微笑むと
僕の横にひざまづき、いきなり僕を握って。
「お母さん、嬉しい。」
「私の身体ってまだまだ、いけるのねえ。」
「こんな元気なもの見せられたらその気になるじゃない。」
そういうが早いか、断りもなく僕のペニスを口に。
僕は急な展開にただ唖然としてその光景をみているだけでした。
洗い場の腰掛に座っている僕の股間で母の頭が、前後に激しく動き、
母は僕のものを口いっぱいに頬張ると僕の亀頭をせめてきます。
時おり上目遣いに僕を見上げる母を見ていると興奮し、
ますます僕のものは大きく、そして堅く反り返ってしまいます

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「さとしのって大きい。」
「長くて、堅くって素敵。」
実の母子なのに母はすっかりその気になっていました。
僕も
(母を抱きたい。)
という気持ちでした。
母はひとしきり僕を責めると洗い場の腰掛けに座っている
僕のひざの上にまたがると、
「お母さんがしらない間に大人になったね。」
そういうと抱きついてきました。
あの大きな母の乳房が僕の゚顔や胸に触れ、
やわらかくつぶれる感触で
もうたまらなくなりました。
僕は母にキスをせがみました。
乳房(おっぱい)も揉みました。
でも母は抵抗しませんでした。
僕は母のおっぱいを吸いました。
でもそれ以上、遮二無二母の胸に顔をこすりつけていると
母は気持ちを察したのか、
「さとし。」
そういうと浴槽に手をついてお尻を僕にむけました。
僕が母の腰に手をあてても何も言わないし、それどころか、
僕のものを握り、僕がこの世に出てきた場所に
誘導しようとします。
それで僕は母がOKしてくれたものと思い、、腰を使っていれました。
母の中はとても暖かくきもちのよいものでした。
その上、僕のものを柔らかく包み母が呼吸をするたび
襞が刺激してきます
僕はすぐに動かずしばらくその感触を楽しんでいました。
「どうしたの?」
「お母さんの感触を感じていたんだ。」
「お母さんも不思議な気持ち。」
「あなたのがはいってるなんて。」
「ねえ、突いて。
僕は母の言葉に答えました。
気持ち良いものでした。
母は小さくハァハァと喘いでいました。
挿入したあと、1分ぐらいしか持たずに快感に襲われ
たまっていたものを中にいっぱい出しました。
母は全部受け入れてくれました。
実母とその息子という一線を越えた後は
その後も当然のように、関係は続きました。
露天風呂でそういう関係ができたその日、旅館の布団の中でも
自然に求め合いました。
母はこうなる覚悟で、
「一緒に・・・。」
と言ったみたいです。

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ずいぶんセックスから遠ざかっていた母とやりたいさかりの僕は、
お互いにひとつになることを求めることが多くなりました。
母の希望で、セックスしているときは
呼び捨てにするようにしています。
「二人でするときは恋人としていると思ってね。」
っていわれてるので。
この関係は母の思惑どおりだそうです。
このままどうなるのか不安な面もありますが
今は結果オーライ?かな。

BrokenMemory・・・・俺って何?


俺ってなんなんだろう


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病院にはずっと行ってない。
考えることが嫌で、ブログを避けるように
ずっとパソコンに触らなかった。
今日はどうしても調べなきゃならなかったから
久しぶりに触れた。

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何を書いたら・・・。
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大学はとっくに夏休みに入っていて
家でダラダラと無気力状態。
外出するのは夜中。

スーパー行ったり、薬局に行ったり、
レンタルビデオ店に行くぐらい。
それ以外は外出しない。
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外に出ようという気力が湧いてこない。
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いつもベットの上で、ダラダラと・・・。
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膜が張ったような意識の中で横臥しながら、
母親の帰りを待っている。
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これからの事を考えると憂鬱だ。
強制的に病院に連れて行ってくれる人が
必要だと思うこともある。
けれども、記憶にある限り祖父母に会ったことは無い。
親戚の人にさえ会ったことが無い。
・・・たぶん誰にも頼めない。
10年、20年経つと、俺は30、40になっていて
母親も50、60歳になるんだ。
まるで他人事。
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大学も3年生になれば、かなり忙しくなる。
選択肢はそもそも多くはない。
3億円でも当たれば・・・別。
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『ジョルジュ・バタイユ ママン』・・・。
今の俺と母の関係というよりも小さい頃の関係に
良く似ているような・・・。
まだ予告編しか見ていないけれど、
どうしようもない焦燥感みたいなもの?が似ている。
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父親は母親の淫猥さが嫌だったのかなぁ。
自分に置き換えれば、嫌だといえば嫌なんだが。
考えてみると、父も妹も母から上手く逃げた。
妹はサークルやバイトで忙しいから
今年の夏休みは帰ってこないらしい。

(俺は何のために生きている・・・?)
(母は何のために生きている・・・?)

「氏ねっ」

そう書いている奴はどうか俺を殺してくれ。
結構ウンザリしているんだ。
毎日、反吐が出るほど・・・セックスして、
どうしても衝動を抑えられない。
以前に医者から貰った性欲を抑える薬を
複数がぶ飲みしてみた。
だけど全く効果が無かった。
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(セックスして・・・精液を出すためだけに生きて・・・。)
そんな風に思うことも良くある。
最近は快感を貪る為に変な行為にまで進んでいって
おかしくなってる。
いろんなことを思い出し、グチャグチャになって・・・
イライラしてしまう。
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狂っている。
近況はこんな感じ。
(病院に行かなくちゃ・・・)
と思いつつずっと先延ばし。
言い訳になるけど施設に見学に行ったのが
まずかったような気がする。
意外と明るい人が多くて。
それは良いんだけど。
人に頼ったり、頼られたりするのは苦手だ。
もちろん人と交わるのも。
あの雰囲気だとそれが避けられないような
気がした。
それで少し引いてしまった。
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自分で文章を読み返してみて、わけのわからない所が多いと感じた。
感情と言い訳をただ
垂れ流してるたけのようだ。ごめん。
【2006/07/21 12:18】
病院にはずっと行っていない。行こうと思った16日に
母親と喧嘩した。
喧嘩と言うよりは一方的に責められる感じだったけど。
医者との相性が悪いわけじゃない。
これ以上話せる先生は多分見つからないと思う。
病院に行けないのは自分自身の問題が大きい。それにまた
一からやり直す気力も湧かない。

俺はただ母親に愛して欲しいだけ

いつもそれだけを望んでいる。
離れようとした母親を再び引き戻したのは俺だけど、
母親が父親を含めて他の男を愛すること、抱かれることが
どうしても許せない。
他の男を選んで俺を捨てようとするのが許せなかった。
母という雌がセックスしていること自体嫌なのかもしれない。
それが父親だとしても。

でも母親には性欲がある。

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「俺以外の人間で(性欲を)満たそうとするぐらいなら・・・俺が抱く。」


こんな考え方から抜け出せない。
妹がいなくなってからお互い箍が外れてしまった。
テストが終ってから大学もサボりがち、
母も仕事を休むようになった。
1日中一緒に居る。
「やっと母親を手に入れることができた。」
「やっと自分だけを見てくれる。」
でも苦しくて・・・涙が止まらない。
何故だかわからないけど苦しい。
俺が望んだことなのに。
もう何が何だか・・・。

【2006/07/03 17:30】

安心しました...遊馬

私は会社員、今年25歳。
母親は50歳。
以前は働いていましたが
今は私の収入で十分生活出来るので
専業主婦?です。

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大学生の20歳の時、男女の関係になりました。
高校時代から
「美人だな!」
「お母さん、美人で優しそう」
と言う友人や女の子に言われたり、
担任が

「お母さんによろしく」

と勿論、冗談だが言ったりして・・・。
息子の私としても悪い気はしなかった。
だが、それで関係を持とうとは・・・。
離婚したのは私が小学生低学年の頃。
記憶の中の母親は一生懸命に働いてくれ
淋しい思いはしましたが感謝の念しかありません。
高校、大学と彼女もいた期間はありましたが、
直ぐに別れました。
自然と母親と比較して口には出しませんが
相手にも物足らない男に映ったのか。
私の中で理想の女性は母親になっていた。
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そして、母親と。
偶然?いえ当然の成り行きのように。
母を女として、息子ではなく男として抱いてしまった。
クリスマスイヴの前日、
直上階で水漏れ事故。
私の部屋が水浸しに。
イヴの日。
母親の作ったケーキを食べ
ワインも2人して飲み
ささやかな、クリスマス。
ワインに酔った自分がリビングのソファーで
眠ろうとするのを見た母が
「風邪ひくよ。」
「母さんと寝よ。」
と母親は布団に誘いました。
私も恥ずかしい気持ちはなく
「久しぶりに親子で寝よか?」
と妙に心が弾みました。
2人して1つの布団で寝ながら
色々な事を喋りました。
ワインの酔いも手伝って
子供の頃の話
離婚した話。
2人で会話しながらアルコールが香る母を
感じていた。

「男になった?」

母が尋ねた。
小さな灯りだけの寝室で
一瞬キョトンとした私。

「鈍いね!」」
「女の子と経験した?」

悪戯っぽく言う彼女。
大学で付き合った女性と1度だけありました。
が、セックスに特別感激はしませんでした。
そんな話を母親とした事は初めてで、

「俺、母さんが理想のオンナだよ。」
「嬉しい!」

そう言うが45歳の肉体を狭い布団の中で
ぶつけて来ました。
母親は本当に嬉しかったんでしょう。

「チューしてあげる。」

私の頬にキスしてきました。

「やめてよ、」

布団の中で私と母親はふざけ合いました。
母の身体が私に密着し・・・
私は勃起しました。
母がそのことに気づき布団の中で
気まずい時間が流れます。
その時初めて『 女性 』だと。
手を母親の腰の辺りにぎこちなく置きました。
そしてお尻を撫でました。

沈黙した布団の中で
二人は一線を越えるかどうか
迷っていた。
やわらかい母親のお尻を、
ただ不器用に撫でながら興奮している自分が
許せなかった。
超えたの母でした。

「あっ。」

母の指が私のパジャマの中に・・・。
そして勃起を直に握ったのです。

「母さん。」

「何も言わないで・・・」

ゆっくり扱き始めた。
母親の手の動きに小刻みに
声が漏れました。
身体からは石鹸香が漂い
布団の中に潜ります。
パジャマが脱がされ
母に身を任せました。

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すべて脱がされた瞬間。
温かさで包まれた感触と
彼女のくぐもった音が聞こえると
強烈に快感が訪れました。
母親が口で愛してくれたのです・・・
フェラチオです。
ペニスを母親の舌が覆い
嘗め回していたのです。
右手で扱きながら
母の口唇愛撫は抜群でした。
ペニスをやさしく吸い舌先で
括れた部分や裏筋に這わせ
別の生物のように動きます。
私は直ぐに口中に射精しました。

母は私の精液をすべて飲んで
くれました。
罪の意識それとも羞恥?
母は私の胸に顔を埋めます。

私は驚きより嬉しさが勝ち
今度は私が母に手をだした。
盛り上がった母親の下着の中に指が入ると・・・
脚を開いてくれました。
濡れた女性自身が指先に伝わり
カバーするように愛撫しました。
母は下手な愛撫に感じてくれました。

私の指をクリトリスに導きながら
私の胸でむせび泣くように。
「母さん、舐めたい。」
私は母親に性器を舐める許しを請いました。
布団の中で裸に。
私も裸になりました。
掛け布団を取り布団の中で身体を両手で支え
股間を開いています。
黒い陰り陰毛の小山でした。
夢中でした。
陰部に鼻先を埋め舌で母親の恥肉を割る。
両手で私の頭をリードしながら
『女』
として歓喜の声をあげました。
小陰唇の端でクリトリスがプックリと芽吹き
舌先でころがしました。
彼女は泣き叫ぶごとく声をあげ
感じていました。
「あぁ」
母が起き上がると私を寝かせ
再びフェラチオをしてくれました。
熟したお尻が目の前を跨ぎ
母と子の69に移行しました。
性器もアナルも夢中で舐め、
彼女は私の肉棒を舐め、含んで執拗に愛撫
します。

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1度射精していたので今度は我慢出来ました。
ひとしきり愛撫すると私の肉棒から口を離し
横臥すると

「来て」

と挿入を求めます。

ナマでしたから躊躇いました。

(万一妊娠したら・・・)
「安全日だから・・・」

その一言で母に覆い被さっていく。

「母さん」
「好きだ。」
「愛してる。」

私の言葉に

「お母さんもよ。」

M字に開いた太腿の付け根に
勃起を挿入すると下から母は腰を自分の動きに
合わせるかのごとく突き上げつつ
両足を自分の足に絡みつかせ
首に両腕を回ししがみ付きました。
勃起の付け根は、母と私の汗と体液で
びしょ濡れです。
そうなると膣外に射精するなんていう
ことができません。
そして
母親の胎内に
思いっきり射精した。
それ以来。
お互いの身体を求め合い続けています
妊娠ですか?
初めのころは、まだ生理が
ありましたのでゴムを使っていました。
しかし最近では生理もなくなり
ナマで楽しんでいます。

母と弟

私はユカ。
小四の頃まで母とそして弟と一緒に
おフロに入っていた。
当時弟は5才、
母は溺愛していて
「お尻やおちんちんは汚れやすいから
いつも清潔にしておかないといけない」
と石鹸で丁寧に私の性器も洗ってくれていた。
母が弟のペニスの皮を剥いて洗うと
ボッキし痛いと言って嫌がっていた。

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あるとき母が洗い終わって
ペニスを咥えて舌でロレロレすると
「気持ちいいもっとやって・・・」と
弟が喜んでいた。
それからは毎日洗い終わると
いつもペニスを咥え弟がいいよというまで
いつまでもしゃぶっていた。

父は母より26歳年上で
地方のミスコンの審査員をしたとき応募した母に
一目ぼれして強引に結婚したと母が言っていた。
父は3度目だそうだ。
お風呂での出来事を話したら
「男はそんなもんだ」
と言って笑っていた。
仕事では怖い人と言われている父だが
母には甘く喧嘩したり怒ったりしたの
を見たことがない。
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弟が女性器に関心を示しだして
見せて、触らせてと言い出し私は2~3度触らせ
たけど頻繁に触りたがって
それがイヤでそれ以後一人で入るようになった。
母は嫌がることなく弟の好きにさせていた。
弟はもう大人で身長が175センチもあるのに
いまだに毎日母と風呂に入っている。
あるとき母が風呂に入っていて大きな声で弟に
[早くおいで]
と誘っていて
弟が急いで脱衣所で服を脱いでいるとき
脱衣所のドアが少し開いていて弟の裸が見えた。
ペニスは完全に剥けて20センチくらいあり
反り返っていた。
5才の時のイメージが強かったので
今までなんとも思わなかったけど
まさか今でもペニスを咥えたり自分の性器を
触らせたりしてたのだろうか
二人ともいつも長風呂で
ひどいときは2時間くらい出てこない。
父に言うのもへんだし
母に聞けばアッケラカンと事実を
言うだろうが
その衝撃を受け止めることが
出来そうにない。
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renew ママとの初夜....夢裸身百夜#36

クリップ01
私の部屋に入ると、彼は待ちきれないという様子で、
私を抱き寄せると、キスしてきました。
ため息が漏れてしまうような熱いキスでした。
舌を絡め取り、吸い上げる
歯茎まで舌を這わせる彼のキスで、
私の股間はジュクジュクとぬかるみ始めて。
彼は、キスをしながら私の髪を優しく撫でたり、
背中を撫でたりしていました。
私は立っていることができずに、
今にも崩れ落ちそうになってました。
すると、彼は私の腰に手を回して、ギュッと・・・・・。
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母とはいいものです

僕は25歳、母は49歳。
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母はぽっちゃりと肉付きの良い体をしています。
今年結婚したのですが、夏頃から妻と折り合いが悪く
ついに僕を新居(マンション)に
残して実家に帰ってしまいました。
僕はまだ、会社では下っ端なので、わりと残業や休日出勤に
こき使われなかなか家のことができないので、
母を新居に呼びました。
とにかく、部屋の片づけやら洗濯やらです。
夕方には見違えるほどきれいになり
やっと部屋らしくなりました。
「早く嫁を迎えにいかなきゃおまえも大変だろう?」
と母が同情してくれました。
「俺は、別に母さんが時々来てくれれば。」
「そんなこと言って。」
「浮気なんかしてないだろうね。」
「それは判らない。」
「母さん、心配?」
「あたりまえでしょ!」
「変な女と関わると、後が大変だから絶対にダメ。」
「じゃあ、母さんだったら誰にも迷惑かけないから。」
「処理してくれるって言うの?」
僕は、母の手を取って、
「俺随分と溜まって、もう限界」
「何をしろって!」

母とひとつになった時(Renew)

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母とはじめてセックスをしたのが、20年以上前。
成人式を迎えた20歳の誕生日。
母は僕が小さい頃離婚して女一人で育ててくれました。
周りから綺麗で歳より若く見えて羨ましがれていました。
30代のときは20代に見られいつも姉弟と間違えられました。
そんな母が自慢でした。
中学から高校まで僕は同年の女の子と付き合っていましたが、
その子とはじめてキスをした時何か物足りないものを感じ
それ以上進めませんでした。
その時、家で母が風呂上りにタオル1枚で歩いている
姿を見た時。
母を一人の女性として意識しました。
その後付き合っていた彼女と別れ、オナニーの種は
母になりました。
それから2,3日後には、母の下着でオナニーを
するようになりました。
高校を出て、何とか大学に入りアルバイトをしながら、
生活していましたが、二十歳の誕生日の1週間前。
母は当時42歳
しかし、30代にしか見られず、28歳くらいと
言われたこともありました

「お母さんのフェラ顔」

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10代か20代の男に限っても
その母親は何万人もいるわけだから、
当然、フェラチオがすごく上手な「母親」が
何万人もいるだろう。
自分の母親が
「実はすごいテクの持ち主かもしれない・・・。」
と思うと
興奮しませんか?
ぼくもお母さんのフェラチオ味わってみたい。
ぼくのチンポをお母さんの唾でビショビショにしてもらって、
口の中や顔に思いきり精子をぶっかけてあげたい。

母子相姦チャットがあったような・・・
私は実生活でも母親と性生活をしています。
実際にそうなってしまうと、それは完全に
普通の生活の一部、当たり前になってしまい、
未体験の時に思っていたような、バラ色の
性生活ではないです。(^^;)
本当に、夫婦が当たり前にセックスするような・・・・・・。
それはさておき。
先日ネットの海を彷徨って
母子相姦チャットなるものを見掛けました。
そこには「ママ」や「優美」という女性も来て
数人の男性に犯されていました。
マークしておけばよかったんですが、
その時はあまり興味がなく、
接続を切ってしまいました。
でも最近、母の孝子との性生活がマンネリなので
二人でチャットに参加しながらセックスしたく…
どなたか知りませんか?

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母をバイブで.

母とセックスをするようになって5年。
今、母は51歳。
初めての時は46歳と21歳でした。
父はゼネコンに勤務、
年中現場へ単身赴任の連続。
母子家庭のような状態が続いています。
母と初めてセックスをした時、私はまだ学生。

サークルの飲み会で遅くなって、深夜に帰宅すると
久しぶりに父が帰っている。
家中の灯りも消え、寝静まっていた。
私は静かに階段を上がり自分の部屋へ入ると
酔っていたので、風呂も入らずそのままベッドに倒れこんで
爆睡しました。
翌日、レース越しの眩い光で目が覚め、時計を見ると
もう昼を回っていました。
階下に降りると、テーブルの上には
「買い物に出掛ける」
という母の書き置きと食事が用意してあり、誰も居ません。
私は、食事よりも、二日酔いで割れそうな頭をどうにかしたくて、
熱いシャワーを浴びることにしました。
シャワーを終えて服を着替えていると、洗濯機の蓋から何やら紫色の布が
出ているのに気が付きなんとなく気になって
それは透け透けのレースが施してある紫色のパンティ。
とてもセクシーなものでした。
それを手にとって、拡げてみると
股あての部分がまだ濡れていて、濃い色の滲みになっていました。
鼻に近づけて臭いを嗅ぐと、栗の花のような臭いが。
昨夜、母は久しぶりに帰ってきた父とセックスをしたんだと思うと、
ふと母がセックスをしている場面を想像し
下半身が勝手に勃起した。
下半身が勃起しても、父の精液が着いたパンティで、オナニーをする気には
とてもなれなかった。
私は、新しいパンティでオナニー。
母の寝室へ侵入しました。
下半身を勃起させたまま、母のタンスを探りあれこれ物色。
引き出しの奥に伸ばした手の先に何か硬い感触。
それを引っ張り出す。
なんと大型バイブが
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甘い膣-鵺伝説#61

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聖一は、念願が叶って実母の信子と
愛し合えるようになった
ベッドに寝そべってぼんやりしていた。
初夏の微風がレースのカーテンを揺らし
午後の静寂が気持ちをゆったりさせている。
確か自分と信子しかいないはずだから、
この時間を母と共有しているという
豊かな気分に浸っていられる。
心も肉体も愛を知ると見るもの、聞くもの総て
冷たくて温かく、触れ合えば愛しくて切ない。
生きることはさらに不思議で難しく、
喜びのなかに哀しみが潜んでいる。
そんな今の自分をどこからか
見守っているなにかを感じはじめる。
いつしか大人になっていた。

45歳の母と二人

僕には、45歳の母がいる。
今年の大学入試に失敗し、僕が落ち込んでいるのを
見かね母が、
「旅行に行こうよ。」
と言いだしました。
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父は、
「仕事で行けない」
というので、内心、ほくそ笑み、二人で行った。
旅館につくとすぐに露天風呂に。
そこは、脱衣場は男女別々ですが
内部は混浴な浴場で有名だった。
まあ、そういう魂胆で選んだんですどね。

母はそのことを知らなかったので思わずの混浴に
頬を赤らめ
「としくん、一緒に入ろうよ。」
「小さいときよく一緒に入ったでしょ。」
「ね、いいでしょ?」
と子供に甘えるかのような
鼻にかかった甘い声で言う。
まるで母と言うより恋人のよう。

実は。

母とは二年ほど前から肉体関係。
今日の母は明らかに「女」でした。
さて、露天風呂では周りに客がいないのをいいことに、
当然のように肉体の交わりをしました。
母に堅くなったモノを舐め回され、後ろから生挿入した。
母とはもっぱら生挿入での行為が多い。
アダルトビデオなみに寸前に抜いて膣外射精。

が今回は

「中に出して」

と母がいう。
「危険日だから拙いんじゃないの?」
と言うが彼女は聞く耳持たず。
それで仕方なく。
いや、
“喜々として母の胎内に出した。”
冷静に考えてみると、あれは正直拙かった。
まだ母は妊娠できる年齢だし。
生理が来るまで彼女以上に
ひやひやした。

でも懲りないというか自分達がバカなのか
未だにそういうことを
二回~三回は、やっている。

まだ妊娠したことはない。
何時か、僕の子供ができるのだろう。
でも肉の欲望には勝てない。
業 なのか?
いや、母と自分の業なのだ。

お母さんとの初体験-ひろし

実は、ぼく。
この間の夜、初めてお母さんとセックスをして、
童貞を卒業しました。
お父さんは月曜から、今日まで出張でした。
火曜の夜。
ぼくがお風呂から出てくると、お母さんは台所で、
後片付けをしていました。
驚かせてやろうと思って、後ろからそっと近づいて、
ギュっと抱きつきました。
お母さんは
「キャッ!」
といって
「びっくりしたじゃない。もう」
と怒りました。
ぼくは、お母さんに抱きついたまま、
背中に顔をこすりつけました。
お母さんのいい匂いがしました。
お母さんはぼくの方をふりむいて、
「どうしたの?」
といったので、ぼくはCMのまねをして、
「ママのオッパイ、チュウ、チュウ、チュウ!」
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「母乳実験」

男とは不思議なものだ。
ある出来事によって自分の性癖に気がつくなんて。
もう、5年くらい前であろうか、
(私には、6歳と4歳になる息子がいるが、
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そんな、ある日家族みんなでテレビを見ていると
猫が、女性の乳房を吸う画面が表示された。
こんな刺激的な画面に照れて息子たちに
冗談半分に言ったんです
「おまえたちも、ママのおっぱいが欲しいんじゃないか?
いいんだぞ、ママにお願いしておっぱいもらっても」
と・・・
妻も、わたしの冗談に付き合ってか
「かずくんも、たっくんも、あの猫ちゃんみたいにおっぱい欲しい?」
息子たちは、当然ことわるものだろうと思っていた。
ところが
息子たちは上気した顔で、こっくりとうなずいた。

妻は、笑って冗談よね という顔で私の方を見ました
(子供たち本当は、いつまでも母親の乳房を吸いたい)
と思っていたんだと
こんなことしか言い出せない子供たちの
気の使い方を不憫に思った。

「だったら、ママにちゃんとお願いして、おっぱいを貰いなさい。」
と言ってしまったんです。
妻は、
「あなた」といって
なんだか困惑気味な顔をしたので、
「いいじゃないか、子供にとって母親の乳房は、
特別なんだ、たまには吸わせてあげても
悪いことはないよ」
と強引に妻を納得させた。

妻は、弟のほうに
「かずくん、たっくんこっちにおいで」
と息子たちをとなりに座らせると
エプロンを外して、ブラウスのボタンを外しました。
妻は、両腕を後ろに回し、器用にブラジャーのホックを外すと
「じゃあ、たっくんからね」
弟のほうをひざにのせ、外れたブラジャーを上に上げると
白い乳房とその頂にあるピンクの
乳首が見えました。
妻は、左の乳房を右手で一回絞るようにしたあと、
下から乳房を支えて
たっくんの口元に乳首を持っていきました。

息子たちは、すぐにでも吸いつきたいのでしょう、
でも我慢していました。息子たちにとって
妻の乳房は、本当に久しぶりのものだったのです。
お風呂には、私と入るのが日課でしたので

弟のたっくんは乳首を口に含むと勢いよく
吸い始めました。
兄のかずくんのほうはもう半分なきそうな顔をして
乳房をみていました。
妻は、やさしい笑顔で、弟を見ていましたが、
弟は、しばらく吸った後、はあはあと息継ぎをして、
再び吸おうとしました。
妻は笑って、
「そんなに、慌てないで」
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こんな光景を見て
私は、興奮し、勃起していました。
母乳を必要としない子供が、
母親の乳房を吸っているのです
子供たちにとっては、性的な気持ちなどないでしょう
出るはずもないミルクを必死に吸い出そうと
一生懸命に乳房をすすっているのです。
私は、「どうだ、ママのおっぱいおいしいか?」
たっくんは、乳首から口を離すことなくうなずきました。
「ママのおっぱいどんな味がするんだい?甘いの?」
たっくんは、口を離すと「うん、
わかんないけどママのおっぱいおいしいよ」
私は、まさか妻の乳房から母乳でも出ているのかと思い
「ママのおっぱいからミルクの味がするの?」と聞きました。
「わかんない。でも甘い味がするんだ。」
妻は、わらって「おっぱいは、もう出てないでしょ。」
ずっとその光景を見ていたかずくんは、
「ママのおっぱいってミルクが出るんじゃないの?」
妻は、「あのね、おっぱいってね、赤ちゃんのためにあるんだよ
もうあなたたちは赤ちゃんじゃないでしょう。」
たっくんは、泣きそうな顔をして、
「そんなのやだよ、ママのミルクが飲みたいよ!」
妻は、私の顔をみて何ともいえない顔をしました。
私はこのとき、ある育児本で
「母性本能の強い女性は、
たとえ、子供がいなくても、赤ちゃんの泣き声を聞けば
母乳を分泌することもある
」と書いてあったのを思い出しました。
妻は、非常に母性本能の強い女性だ、
もし、定期的に子供に乳房を
吸わせたらもしかしたら母乳が
出るのではないかと考えはじめていた。
そこで、わたしは、「よし、わかった。
そんなにママのミルクがほしいんだったら
毎日朝と晩、ママにお願いして、おっぱいをもらいなさい。
もしかしたら、ミルクがそのうちでるかもしれないから」
妻は、唖然として「何を言ってるの、この子達にも悪いことよ。」
私は、「この子達は、これからいろんな意味でストレスを感じてる。
赤ちゃんに戻って安心できることも必要だぞ」と
妻は、納得はしませんでしたが、私が強引に約束させました。
それから私の実験が始まったのです。
私の性的な快楽を含めた。今は、乳房を吸わせているだけですが
おいおい、妻の体をつかった性教育をするつもりです。

まきこ・近親セックスにおぼれる主婦

55歳になる主婦。

主人は単身赴任で、上の2人の娘達は結婚、
今は19歳の末の息子と二人暮し。
息子は中学に入った頃から性に興味を持ち出し、
ヌード写真やSM雑誌等を机の引出しの奥に
隠し持つ様に成りました。

私も悪いのですが、末っ子可愛さで
甘やかして過ごし、二人暮しと言う事もあり、
一緒にお風呂に入る事も度々です。
あえて申しますと
息子とは男女の関係なのです。

良く週刊誌等で目にしました。
まさか自分がそうなるとは。

そもそもは息子のオナニーをみてしまったこと。

あれは。
そう、主人がいない夜でした。

「入浴しなさい」

と言うために息子の部屋の前まで来たところ、
何か部屋から伝わってくる雰囲気がいつもと違います。
扉を開けるのが躊躇われました。
思いきって開けるとそこには。

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「わっ!」という声とともに眼に飛び込んできたのは
ヌード写真を観ながら自分のモノを扱いている息子の姿。
もう少しで射精するところだったらしく天を向き激しく脈打っていた。

怒る訳にもいかず。
なんと声をかけていいのか迷い、
気まずいまま呆然とし、固まっていました。

二人の息づかいだけが聞こえる部屋の中で
どれだけの時間が経過したのでしょうか?
実際は、ほんの2,3秒であったと思います。
最初に沈黙をやぶったのは息子でした。
口をひらいて出てきた言葉は、予想だにしなかった言葉。

「ママの事が好き。」
「セックスしたい、初めての相手はママがいい。」

その言葉が私の耳に届く。
全身から力が抜けて、思わず私は息子の足元にへたり込んでいた。
息子が生まれてからというものは、主人と夜の生活はしておらず
最愛の息子から告白され、目の前には息子=若い男の性器が勃起している。
魔が差したのか。
それとも主人に構って貰えない女の性がそうさせたか。
次の瞬間。
自分自身信じられない行動にでていた。
目の前の息子の堅く屹立したモノ手を伸ばし
握り締めていた。
私自身、愛撫などできる余裕はなく、ただ握り締めているだけでした。
でも息子の先からは透明な液が流れ、指を濡らし
それが心臓の鼓動が聞こえるほど私を興奮させ、
枯れてしまったとばかり思っていた女の泉に
19年ぶりに愛の滴が湧き出し下着を濡らしていた。

射精寸前に邪魔された彼はすぐに絶頂に登り詰め、

「もう、もう我慢できない

と言うが早いか、
私の手に溢れるほどの大量の液を噴出させた。
ティッシュで後始末するほんの短い時間に、
一切触っていないのに再度屹立してきた。
思わず眼が釘付けになっていると。
抱きついてきた。
あまりにも、突然のことに抵抗できず
彼は私のスカートを捲り上げンティを
脱がそうとする。
思わず腰を浮かしてしまうと覆い被さって
ペニスを掴んで私に入れようとする。

あまりにも力任せにしがみつくので
息が詰まるかと思った。
しかし息苦しさよりも、収まるべき場所を求め
屹立するペニス。
息子が可哀そうに思えたとき
自ら腰を使い迎え入れしまった。
女という生き物は業が深いものか。
その出来事があった日以来。

私は“母”よりも“オンナ”となり
身体の欲望のおもむくまま、日に2~3度は
息子いえ若いツバメかな。
彼のはちきれんばかりの
身体を貪るようになっていた。

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でも。
冷静に考えると、
このままでは2人は不幸になってしまう。
息子が他の女性と。
と想像すると嫉妬の炎に焦がされる。
そんなこと思いたくもない。
頼りなかった息子も大学生になり
最近では身体は大人同様に成長し
頼もしくなりました。
何も知らなかったセックスも色々知識をつけ、
SMと申しますのでしょうか、
バイブや色々な道具を使うようになり
気が遠くなるほど。


唯、主人には勘づかれていないようなので。

そのうちばれてしまうかもしれません。

49歳の母と-純(Renew)

きっかけは、こうだった。
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ひと月前のある日、朝起きると普段でもあまり
仲がよくない父と母が、激しく口論していた。
原因は、父の韓国通いだった。
父は、食品卸の会社を経営していて、
釜山やソウルへたびたび出張しているが、
最近、韓国に女ができそのことで口論となっていた。
僕が見ている前で、父は大声で母を怒鳴って、
飛び出すように玄関を出ていった。
母は、その場に座り込んで、泣き崩れていた。

母も女でした。

末永く幸せをお祈しますね。
では謙一さんどうぞ。
初めては母上様を無理やりとか。
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謙一といいます。
去年の夏から母とほぼ毎日
するようになりました。
今21歳で、母は45歳です。
父は仕事の関係で月に数回しか帰ってきません。
普段は僕と母の二人暮しみたいなものです。

母と初めてセックスした日ですか?
夏休みになったばかりの、暑い日の夜でした。
僕が風呂上りにビールを飲みながら
テレビを見ていました。
と、母が雑誌を広げながら僕のソファーに座りました。
何気なく目をやった先に、
(あ)
母のブラウスの胸元が開いていて乳房の谷間が見えていました。
(母さんって、結構大きいんだ)

ニートな僕・・・母との姦系

それはまた大変ですね。
それではニート5年目さんどうぞ
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ニート5年目です。
ある日、オナニー現場を見られた恥ずかしさと
オマンコしたさに母と強姦状態で交わりました。
素人童貞でニートな僕ですから女性とまともに付き合う
ことができずにいました。
もちろん大変なことをしていることは
理解できていました。
後ろめたさにもかかわらず、ソープ嬢相手の時以上
に勃起しました。
必死に抵抗する母の両脚をこじ開け、
母の中に入りました。
しかし、久し振りの膣の感触に興奮が高まり、
2分が限度でした。

「外に出しなさい。」

と母に言わなければ・・・・

初めて母と

そうですか。やはり父親の存在というのは大きいですよね。
そういえば近親姦夫婦。表に出ないだけで結構あると聞きます。
日本のあるところにそんな夫婦ばかり集まっている
村があるそうですよ。

じゃ次は独身の27歳さんどうぞ

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母52歳、独身の27歳 男。

僕の場合以前から母を狙っていたわけではなく
成り行きというか、はずみでなってしまいました。

連休初日の土曜日。

父が朝からゴルフに出かけ
母は
「お父さんばかり。」
「本当にゴルフなんだか。」
「ね、この際、何か美味いものでも」
「そう、温泉にでも食べにいこうよ。」

父に対する普段からの不満もあったのでしょうか。

もちろん自分も美味しい物という言葉に
反対する理由もなく・・・。
ということで、近場の温泉まで足を運ぶことに。
普段は2時間も走れば着くはずの場所。
運命の悪戯?なのか、やたらと道路が混んで
途中から、一度通ったことのある林道に入り
山越えのルートをとりました

ところが。

もう1年になります。

それでは、はじめましょうか。
JUNさんからどうぞ。

バイト先の社長婦人と親しくなった事があって、
バイト先の社長が怒って僕と母さんが呼び出され
結局、バイトはクビ。
僕とそこの奥さんとは何もなかった事にして、
なんとか事なきを得ました。
その日は家に帰っても、気まずい空気でした。
夜になって。

「お酒でも・・・飲もうか。」
義母奴隷から

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