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東京タワー 僕と母との物語

2007年1月7日
母の葬儀を終えた後、芝浦公園に
行き見上げた東京タワー。
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最近では第2東京タワー、
スカイツリータワーが下町に
出来つつありますが
僕と母にとって東京タワーは
忘れられない建物に
なりました。
僕は母子家庭で育ちました。
幼稚園の頃、酷く酔っ払った父は
夜中に帰ってきて玄関で大声を出し
喚き散らし迎えに出た母をいきなり
レイプしました。
大きな物音と母の悲鳴を聞いて
泣き叫ぶ僕の足元で
父は母を犯し続けました。
それが、母と父と僕の3人が暮らしていた
最後の記憶です。

数日後、母は、酒乱の父と決別、
幼い僕の手を引いて実家に。
女手一つで僕を育ててくれました。
酒乱の父から解放された母はまだ若く
美しい女性でした。
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地元の大学を出た僕は、寂れた町を出て行きたくて
東京の会社に就職しました。
町を出て、東京でアパート生活をすることになった
春の日。
駅まで見送りにきてくれた母が僕に持たせた
バッグには、新しい下着、おにぎり。
そしてしわくちゃの一万円札。
今はもう運行しておりませんけれど
夜行列車の中で、母のおにぎりを食べながら、
なぜか眼から泪が溢れて・・・。
憧れの東京に着いてすぐ、窓から東京タワーが見える
6畳一間のアパートを借りました。
僕は、苦労して育ててくれた母に親孝行がしたくて、
手紙を書きました。

母さん

東京タワーが見えるアパートを見つけました。
最初の給料をもらったので交通費を送ります。
ぜひ東京見物に来てください。
                息子


息子よ
そんなお金があるならいざというときのために
貯金しておきなさい。
                  母


一ヵ月後。


本当に行ってもいいですか?
何時までも子供と思っていた貴方に
こんな招待を受けるとは。
母さん、嬉しくて涙が止まりません。

母は10日間の休みをもらって、
東京に出てきました。
東京タワーブログ用
初日。
勤めから帰ってくると、母が夕食の用意をして
待っていてくれました。
その日は二人でビールを飲んで盛上り、
寝るのも12時近くになっていました。

一組しかない布団を、押入れから出し
敷いてくれていた母が
「ね、新しいシーツある?」
「なんで?」
「だってシミだらけ。」
「なにそれ?」
母はシーツを指差して。
ハッとして、トボケましたが、
自分の顔が赤くなっていました。
「別にそんなにならなくても。」
「男なんだから。」
今まで母とこんな会話を交わしたことが
無かった。
恥ずかしさで一杯でした。
母は手際よく新しいシーツに取り換え、
さっさと布団の中にもぐりこみました。
僕も続いて布団の中に入って電気を消すと、
窓からオレンジ色の東京タワーが
見えました。
狭い布団の中で母と寝ていると
柔らかい体に反応してペ○スがどんどん
硬くなっていきました。
(やばい)
なんて思っていたら、母が僕の股間に
やさしく手を置いてきました。
「一緒に寝るとこんなになるの?」
僕が黙っていると、
「別に恥しがらなくても・・・」
「いまが一番そういう年頃だもんね。」

その言葉にホッとして母に甘え
「ねえ、子供のときみたいにおっぱい
触っていい?」
「えっ?おっぱい?」
少し躊躇していましたが
寝巻の前を少しだけ開けて
おっぱいを出してくれました。
当時47歳の母でしたが
素晴らしい張りと弾力で夢中
で触りました。

豆電球だけの暗い部屋。
白い母の肌だけが浮かんでいます。
その母は目を閉じたまま。
僕は唇をつけてそっと
吸ってみました。
舐めたり吸ったりしていると、
息が荒くなり
その内、肩で息をするように
なって・・・。
僕はたまらなくなって
片方の手で自分のペ○スを扱き
始めました。
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すると・・・。
母の優しい声。
「仰向けになって。」
母さんが手でしてあげる。」

仰向けにって目を閉じると、
母の手が僕のペ○スを優しく
扱きはじめました。
僕のペ○スは母の柔らかな手に包まれて
まるで膣内に挿入しているような感触でした。
母の手の動きはゆっくりとしていて、
頭が痺れるような快感が永く続いて
先走り汁が出てヌルヌルに。
ピクピクと痙攣を起し始めていました。
そのとき。
突然、動かしていた手を止めると
僕を跨ぎ上になるとゆっくりと
腰を落としてきました。
グニューッと母の膣穴に根元まで
挿ってしまいました。
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母は微かな声で
「あっあ~」と言いながら
腰を激しく上下させ
僕も初めて味わう膣穴の感触に
腰を激しく上下させていました。

「中に、中に出して・・・」
その声を聞いたとたん、僕は母に
大量放出してしました。
母は泣くような声をあげ
僕にしがみつくと、さらに激しく腰を
上下させてきました。
そして僕の胸の上に倒れ込むと
膣をヒクヒクさせ繋がったまま僕を抱きしめて、
余韻を貪るようにしていつの間にか繋がった
まま眠ってしまいました。

朝。
母が起きて朝食を用意してくれていました。
僕は、母が作ってくれた朝食を
急いで食べ会社へ出ました。
その日は母とセックスをしたことが
頭から離れませんでした。
よく言う後悔とか罪悪感とかいうものではなく
ただ母の膣穴の感触がペ○スに残っていて、
ちょっと考えるだけで勃起して
本当に困りました。

会社から帰ると、僕は
「今夜も・・・したい。」
母は少しはにかんだような顔で
「わかった。」
と言ってくれました。
それからというもの、母が在京している間は
会社から帰ってくると、食事のまえに
一緒に風呂に入ってセックスをするのが
一つの楽しみになっていました。
会社が終わってアパートに着くころには
7時過ぎ。
夕食の準備して待っていますが
帰り着くと自分の服を脱ぎ捨てて
『早く』
とせかせるように裸にして、
風呂場に連れていきました。
湯船は一緒に入れるほど大きくないので、
交代で湯船に浸かって、温まると洗い場に出て
「母さん、何時もの。」
おっぱいを持ち上げて僕の前に差し出してくれます。
初めて以来これが気に入ってしまって、
風呂にはいるといつもそうして
もらいました。
オッパイを揉み上げながら乳首を音を立て
吸います。
息遣いが荒くなってきたことを確認すると
僕は、立って向かい合っている母の片足を
湯船の淵に乗せて腰を引き寄せ、
僕の腰を突き出して結合します。
初めて一緒に風呂入ったとき。

「ホラッ、母さんの胎内(なか)に入ったよ。」

湯気の立ち込める中で2人が繋がっているのが
見えます。
少し腰を引くと
ズルズルと僕のものが出てきました。

腰を押し出すとペ○スの先が膣奥の
コリコリした子宮にぶつかりました。

僕のペ○スがそこを突くと母が善がるので
それからはいつもそこを狙うようにして
突きました。

「か、母さん、気持ちいい?」
「あ~っいい~っ」

僕はさらに激しく動きました。
しばらくすると母の声が途切れ途切れに
なって逝きそうになってきたので、
母の腰を引き付けて・・・。
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母もそれに応えるかのように
膣穴を僕に擦り付けてきました。
母の子宮口にぴったりと合わせると
腰をしっかりと引き寄せながら子宮口を
押し開くようしてペ○スの先端を挿入、
直接射精しました。
子宮内に精液を注ぎ込むと
何ともいえない声を出し
逝きました。

その日の二回目は夕食を食べてからでした。
母が食事の後片付けをしている後姿を
見ていたらムラムラとしてきて、
母の後ろに回り、首筋や耳たぶにキスを
しながら、おっぱいを揉みました。

「くすぐったい」
最初はそう言っていた母も
暫く続けているうち
息が荒くなって・・・。
母を畳の上に寝かせると、
下着を剥ぎ取り、正上位で挿入しました。
まだ先ほどの余韻で母の膣内は火照って
ヌルヌルでした。
僕が動いているとき
母が
「東京タワーから誰かに見られる。」
と呟きました。
「大丈夫。誰も見てない。」

僕は母を起こして、窓に向かって
四つばいにし
豊かな腰をつかむと、後ろから挿入しました。

僕はオレンジ色のきれいな東京タワーを見ながら、
射精しました。

しかし。
束の間の幸せは終わりがあるものです。
別れの日が、確実に近づいていました。

10日目の朝。
一通の置手紙と、朝食を残し
実家に帰っていました。
それから、一年もしないうち・・・。
母は癌を患い、他界してしまいました。
今も、オレンジ色に聳える綺麗な東京タワーを
見上げるたびに、母との夢事を思い出し
胸が熱くなります。
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