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銭湯で見た母の裸身



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昭和40年ごろまで
内風呂がある家などほとんどなかった。
だからおれの家も含め、
隣近所ではどこも夕方になると家族そろって
銭湯に行ったものだ。
おれは小学校三年生くらいまで
母や姉と一緒に女湯に入っていた。
性欲には目覚めていないから
女の裸に興奮もないのだが、
ひとつだけいつも
気になっていたことがある。
それは姉の股間についているものと
おれの股間についているものが
どうして違うものなのだろう?
姉もまだ子供だったから
タイルの上に股を広げて座ってしまうのだが、
そうするとおま×こが
ぱっくり開いてしまい、
おま×この上の方に
突起があるのまで全部見えてしまう。
おれはその突起が
気になってならなかった。
クリトリスというものだと
後で知ったが
あれはいったい何だろうと思いつつも
そこばかり見ていた。
そして母も女だから、
「母にもあれがついているの?」
母のそこも観察したが、残念なことに
見ることができなかった。
姉のように股を広げて座ることは
なかったからである。
ただ、母のおっぱいやお尻、陰毛などは
いつも見ていた。
子供の目から見ても母のおっぱいは
他の女の人より大きかったし、
それに母はスタイルも良かった。
今から思えば本当に勿体ない話。
もし性欲が芽生えていれば、毎日
興奮を覚えたことだろう。
母のおま×こだって何としても見ていたはずだ。
今でも遠い昔に
銭湯で見た母の裸体を朧げながら
思い出すことはできる。
お湯に濡れた白い肌も
むっちりした太股も
よく覚えている。
が、しかし、細部まで
どうしても思い出せない。
おっぱいは大きかったが、
しかしどんな張り具合だったか
乳首は?
陰毛もどんな具合に生えていたのか?
などといったことはほとんど思い出せない
いまでもそれが残念でならない。
小説では書かなかったが、
精神だけをタイムスリップさせ
子供の頃のおれになることは
できないだろうかと考えたことがある。
これは想像をめぐらせるだけで
楽しかった。
例えば銭湯で母の体をしげしげと
観察することもできるし、
もっと小さい赤ん坊の頃に戻れば
母のおっぱいを吸い、この手で揉むことだって
できるわけだ。
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さらに、まさに自分が生まれ出てくる
場面に戻れたら、
おれは全身を母のおま×こに
締め付けられながら、
肉ひだを掻き分けることが
できるのである。

また、人の身体へ
自由に乗り移ることができたら
楽しいだろうとも思う。
ずばり父に乗り移ってしまうのだ。
父に乗り移って母に挿入する.
それもいろんな体位で挿入できたら
最高だと思う。
おれは台所に異常に興奮するので、
「誰もいないからここでやろう」
と父の口調で言い、
母のスカートをめくってパンティを
引き下ろし、
大きなお尻をがっしりと掴んで
バックから突き刺していく.

考えただけで興奮してしまう。

または母そのものに乗り移るのもいい。
母になった自分が淫らなポーズをとって、
写真やビデオに映しておくのだ。
おま×こを思いっきり広げた姿も、
おっぱいを揉みしだいて恍惚とした顔も、
みんな記録しておける。

もっと過激に、母になった自分が
SMクラブに行き、
お客に陵辱されてみるのもおもしろい。
いや、それならいっそアダルトビデオに
出演して
大勢に輪姦されるところを
撮ってもらおうか。
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