2ntブログ

丹那の月明かり 序

7734.jpg

清子の夫が心臓麻痺で亡くなって
五年が経った。
大学に入った息子が
「家に一人でいてもしようがないだろ。」
と言うので、
女友達がやっている骨董品の店でアルバイトをはじめた。
40代半ばを過ぎた清子だが、その店では一際目立った。
さもない格好で働いているのだが、小奇麗で
普通の主婦らしい清潔さが、きびきびと働く清子の
容姿に映えるので、小金持ちの旦那衆からは
よく色目を使われた。
シングルということは店の客には内緒にしてもらっている。
それでも馴染み客は、清子の素性を店主にあれこれ
尋ねるらしい。
彼女自身はなにも意識していないが、
接客業をはじめてからというものは
知らず知らず化粧や着る物がどんどん
小奇麗になっていった。
それを最初に指摘したのは、
たまに帰ってくる息子だった。
息子の洋平は、今までと少し違う目で
母親を見るようになり
実の母を
(もったいない)
と感じるようにになる。

父が亡くなった当時、
中学の三年生で葬送の儀では
親族を代表し
「父の代わりに一生この母を、守っていきます。」
そう挨拶した彼も五年が経ち
女友達のことで悩む年齢になった。
大人になった彼は
大学に入る前まで、母親の再婚に反対していた彼は
母が女として独立しはじめた様子をみて
「真剣に母の幸せを考えないと。」
「いつまでも母を縛っておくことはできない。」
と考えるようになる。

「俺は賛成するから」
「いい男性を見つければ?」
「その気はないから。」

母の返答はいつも同じ。
二言目には
「あんたが居るじゃない。」
そう言ってくれている。

彼が夏休みにはいるちょっと前。

「二、三日でいいから八丈島に一緒に行ってくれないかな。」
と頼んできた。
アルバイト先の店主のご主人が、八丈島生まれで
その両親が民宿を営んでいるから
「宿は心配しなくてもいいし、宿代はいらない。」
「その代わりできれば民宿の手伝いをして欲しい。」
ということらしい。

洋平は行くことにした。
母親の顔を立ててやるつもりだったし、
付き合っていた彼女と別れた直後だった。

「よかった。」
「じゃ二人で行こうね。」

母は嬉しそうな顔をした。
本心は、それほど
「行きたい。」
と思っていない。
船に乗ることに少し不安だし、休暇が取れるなら
家で好きな蘭の手入れでもしている方がよかった。

洋平は八丈島に行くについて島のことを調べた。

そして。
島に伝わる、奇妙な伝説のことを知る。

それからは洋平の頭に
「母子相愛」
という言葉が澱のように沈殿して行く。

夏休みに入ると彼は車の免許をとるのが先で、
それに受かれば八丈へ母と行くことにしていた。

試験が済んだ夜。

二人共、随分と珍しく家で母とビールの缶を開け
母子のゆったりとした時間を過ごしている。

「受かりそうなの?」

「大丈夫だろ?」
「あなたが行けなければ止める。」
「それでいいの。」
「別に構わない。」


風呂上りで眼鏡をしてない母を
珍しいものでも見るように盗み見て
(結構、いい女だな。)
そう思いつつ別れた女友達のことを母親に向かって
愚痴っていた。

「俺、親父の夢をよく観るんだ。」

唐突に父の事を口にした。
母の顔付きが少しだけ険が帯びた。

清子は自分でも不思議になる。
夫の事を夢に観ることはなかったが
夢だと夫の代わりに目の前の息子が出てくる。
それも、肌を触れ合おうとする夢の中で。

「あなたタバコ吸ってないよね?」
「ああ」

洋平は母が健康を気にしてくれて発言したのだ
と思ったが、
清子はそうではかった。
夫の喫煙にどうしても抵抗があった。
特にベッドでは耐え切れなかった。

「わたし、ワインにしようかな?」
「酔っ払っちゃうよ。」
「だめ?」

そう言ったときに不思な間があり
母子は見詰め合ってしまう。

(なんだろう?)
二人は同じ想いを持ったことを感じ取っている

「少し飲みすぎちゃった。」

話しが途切れ、
間が持てなくなりテレビに向かって
同じソファーに座ると部屋の明かりをおとし、
ワインとビールをチビチビやっていた。
母子だけの静かな時間が流れた。

清子はウトウトして瞼が重くなる。
洋平は横に座っている母の頭が、そっと
肩に乗ってきた。
なぜか身体を硬くした。
静かにテーブルに手を伸ばし
缶ビールをとろうとしたが、僅かに手が届かない。
清子はみながら、ぼんやりと
息子の手の先を薄目で見ていた。
彼はビールを諦めたようだ。

不思議な安堵感に包まれる。

「ね。」
「八丈に行くのよそうか?」
「どうして」
「あの島には妙な伝説があるんだって」

二人の間には暫くの間、沈黙が訪れた。
酔ってしまったのか、母親が少し大胆になった。

「ほんとうに寝ちゃいそう。」

清子はなんの気はなしに洋平の手を握っていた。
少し顔を傾けて息子の顔を見る。
洋平の顔がゆっくり近づいてきた。

(私、夢をみはじめたんだ。)

そっと眼を閉じた。
微かに洋平の唇が触れた。
洋平は母の唇の先にかすかに触れ、
母の表情がますます穏やかになるのを感じた。
身体を預けてくるの。
俺の悪戯気分を、
母も楽しんでるふうに見える。
触れてるか触れてないかわからないほど、
微かな母子の口付け。
洋介は舌の先を少しだけ出して、
母親の唇の隙間に当てていった。
関連記事