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母とひとつに・・・そして夫婦として

エムさんどうぞ。
かれこれもう20年ほどお母様と夫婦として過ごされているとか。
ではどうぞ。

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母とはじめてセックスをしたのはかれこれ20年以上前。
二十歳の誕生日でした。
母は僕が小さい頃離婚し、女手一人で育ててくれた。
普段周りから

「綺麗で歳より若く見える」

と羨ましがれていました。
30代のとき20代に見られいつも姉弟と間違えられていた。
そんな母が自慢でした。
中学から高校まで同年の女の子と付き合って
とはじめてキスをした時、何か物足りないものを感じた。
それ以上進めなかった。
そんな折も折。
家で風呂上りにタオル1枚で歩いている母の姿を見た時
一人の女性として意識してしまう。
付き合っていた彼女とはその後別れ、
オナニーの種は母に。
それから2,3日後には、母の下着でオナニーをするように
なる。
高校を出て、何とか大学に入りアルバイトをしながら
生活していた。

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二十歳の誕生日の1週間前。

当時42歳の母から
「成人の誕生日のプレゼントは何が良い」
と聞かれ少し躊躇したが、
思い切って

「母さんが欲しい。」

と。

“今までずっと好きでたまらなかった”
“母しか考えられない”

そういった諸々の気持ちを伝えました。

自分の言葉に興奮した僕は
「僕の最初の女(ひと)で、生涯の女(ひと)になって。」
とプロポーズしました。
吃驚し困ったような顔で
「自分の言う意味が解っているの?}

一言そう言ったきり母は黙った。

それから気まずい雰囲気のまま日が過ぎた。
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とうとう誕生日の日の朝になった。
その日は休日だったのでいつもより遅い朝食を食べ、
後片付けを終えて少しくつろいでいる時、
あの日以来ほとんど口を聞いてくれなかった母が、
「誕生日おめでとう!」
「この前の話だけど。」
やや沈黙が流れた後
「本当に最初の女(ひと)が私でいいの?」
と恥ずかしそうに聞いてきた。
吃驚したが
「母さんが好きだから。」
「母さんしか考えられない。」
すると、あにはからんや母の口絵をついて出た言葉は
「部屋で先に待っていて。」
と言う言葉。
頷いて母の部屋に行く。
全裸で母のベッドの上で横になり待つ。
15分くらいでしたか。
でもその時間は自分にとって数時間にも感じられた。
母がバスタオル1枚の姿で脱いだ服をもち
部屋に入ってきた。
服を台の上に置きタオルをとって
ゆっくりベッドの僕の上に来ました。
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母と同年代の女の人の裸を直接見たことはなかった。
写真やビデオの女の人より綺麗だった。
その後、母と同年代の人や若い人を何人か見たが
母に敵う人はいない。

「おかあさん。」
と一言いうのが精一杯。
母に抱きつきました。
「慌てず、ゆっくり優しくね。」
やさしいキスからお互いの身体を愛撫し、
はじめてで興奮していて、69の体位になって
はじめて母が僕のおちんちんを口に含む。
眼前には母の秘部が。
少しグロテスクだと思った。
後でこれがフェラチオという行為であることを知る。
その行為をしてもらい口に入って1分ももたず
口中に出した。
それを母は全部飲んでくれた。
出した後また口に含んでくれたので、
直ぐに大きくなりました。
僕も母の秘部を無我夢中で愛撫。
かなり感じたようでフェラの速度が速くなり、
イヤラシイ声を出した。
それが合図のように体位を入れ替え
母が上になり母の導きで母と
ひとつになれた。
母の中は気持ち良いのを通り越し
なんとも言えない感じで
言葉では言い表すことができません。

その後、キスをしつつつ繋がりあったままで
位置を入れ替え僕が上になり、腰を動かして
1分もしないうちにイキそうになり
母に言うと

「私の中に思いっきり出しなさい。」

激しく乱れながら思いっきり抱きついてきた。
激しくキスをしながら母の中に思いっきり
出した。
緊く思いっきり抱き合ってキスしたまま暫く
そのままでいました。
思いっきり出したのですが、ペ○スはまだ固さが少し
残っていた。
母は少し息を荒げ無言で頷いていました。

「母さんを一生愛するから」
「ずっと僕のものになってくれ。大切にする」
「ありがとう」

お互い又激しくキスをした、

すると。
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母の中に入ったまま、柔らかくなりかけていたペ○スが
硬くなり、そのまま激しく愛しあいました。
その後、昼前から夜中近くまで何回もしました。
何回、母の中に出したことか。

軽く食事を取った後一緒に入浴した。
その間ずっと密着していた。
その後又2回セックス。
繋がったまま抱き合って寝ました。
最初は夢中で判らなかったが、母は締りがいい。
最近寝物語に聞かせてくれたのだが
母も実は僕が中学になった頃から
男として意識していたのでした。
再婚話もいくつもあったようです。
が、僕のためそしてこの日のために断ってきた。
寂しい時、僕の事を考えながらオナニーしていたそうだ。
そして息子の初体験の相手が自分であったこと。
又、思いもかけず息子も自分と同じに
異性として意識してくれていたこと。
それらの重いが重なり約20年ぶりのセックスに
我を忘れて燃えたそうです。
禁じられていても実際に行為するか否かは別にして
そういう願望を抱く母親というのは 多いと聞き及んでいる。
自分の場合、行為と実践を行っただけのこと。

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それから・・・。

家の中では“夫婦”として生活を始めた。

かれこれ20年以上経ち、もう60歳を過ぎたと言うのに
母とは今も仲良く愛し合っています
下着も僕好みの物を着せる。
お互い名前を呼び捨てにしています。
でも。
一歩外に出たら普通の母子をきちんと演じる。

“仮面夫婦”

ならぬ

“仮面母子”
というところだろうか。

遠くへ旅行に行くとか、知らない土地では
“夫婦”として申し込みをする。
母はかなり若く見られるから少し歳の離れた夫婦で通用する。
初体験から10年以上殆ど毎日していた。
大学を出て就職暫くして母は専業主婦になりました。
会社には母子としてしか届けを出せないのが不満なのだが。


え 普段ですか?

どうしても外泊したり、かなり遅くなった時以外毎日しましたね。
母に僕たちの子供を生んで欲しかったのですが。
父と離婚後直ぐ、子宮の病気になり子供を産めない
身体ということを聞き残念でならない。

20年以上続いている関係であるけれど
勿論今まで何回か他の若い子や母と同年代の人と付き合って恋人として
セックスをした。
しかし母の功罪というのか母に敵うはずもなく
駄目でした。母も60歳を過ぎ毎日と言うわけにいかず
週に2,3回になりました。
しかし、今だ50歳前後に見られています。
勿論周りに気づかれないようするにはかなり大変なのですが。
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え?そういう関係の人間ばかりがコミニュティが
某所にあるんですか?
ぜひ詳しいことを教えてください。
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