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太平洋戦争終戦の年に

もういまでは大昔かもしれません。
戦後生まれの人たちが大半を占めるようになり
もう六十有余年前のこととて
私も孫を持つ白髪の老人に。
一番愛した母の元にいけるのもそう遠いことではないでしょう。
終戦の年。

父が戦争英霊となり、当時小学生5年だった
私は母と2人で生活していた。
“生活費の足しに”
と、空いていた部屋に近くの鉄工所に働く
当時20歳のAさんを下宿させていた。
下宿するようになって3ヶ月ぐらい経ったある夜中。
トイレに起きた私は母の寝室から呻き声が漏れているのに
気づき
(病気?)
と心配になり声をかけようと襖を少し開けた。
当時42歳だった母は股を広げその上にAさんが。
覆いかぶさりながら腰を激しく上下させ、
母にいきり立った陰茎を突き刺していました。
母はAさんの首に腕を巻きつけ、腰をAさんに合わせるように
動かしていた。
そのうちAさんが
「おばさん。」

母の耳元で囁くように声をかける。

「おばさんも。」
そう囁き
腰を突き上げるように激しく動かし
Aさんの射精と同時に往ったようでした。

当時、男女のそういう関係は父か隠し持っていた、
エロ本で少しは知っていましたが、
実際に見たのは初めてでした。
それ以来、夜中に目が覚めるようになり、
母たちの光景を盗み見るように
なった。
母たちの関係は1年くらい続き、Aさんが結婚し
田舎に帰ったのを契機に消滅。
空閑を母は自分で慰める用になり、
その行為に興奮を覚え我慢できず
思い切って母の寝室に入った。
驚き、慌てて行為をやめた母。
勃起している私のものに気がつくと
「驚かせてごめん。」
と下穿きを穿きかけたその時。、
「母さんとしたい」
と、母をその場に押し倒した。
「だめ」
と拒まれたが私の指が母の中に入ると
「どうしたの」
と宥めるように云う。
「母さん、僕とは嫌なの?。」
「Aさんならいいの」
そう迫りながらいきり立った陰茎を
ズボンから出して母に握らせた。
興奮のあまり母の手で射精してしまう。
私の精液の量に驚きながらも母は
、「母さんがきれいにしてあげる」
と小さくなりかけた陰茎を舌で舐めてくれた。
母に舐められた陰茎は見る間に
大きくなり、まじまじと見つめる母の言葉に驚いた。

「こんなに元気になって。」
「本当に母さんとしたいの?」
「じゃ、言うとおりにして。」

箪笥の引き出しからコンドーム、
当時突撃一番なんていわれていましたが
その箱を枕元に置き、私のモノに被せ
母は私に跨ると自分の割れ目に導くようにあてがい、
亀頭部がすこし中に入ると
「あぁ!」
と声をあげる。
そして体重をかけ
そそり立つ私はスルスルと根元まで
呑み込まれた。
母の温かさの中で、少しづつ腰を上下に動かし
次第に激しくなって。
初めての行為で直ぐに射精してしまいまった。
その日は4回も母の中で射精した。
それ以来。
経験を重ねるたびに母を満足させられるようになり、
結婚し子供が生まれたあとも、母か亡くなるまでの二十五年間。
母との関係を持ち続けた。
妻にはない、女としての歓びを死ぬまで持ち続けた母は
年齢とは関係のない
“女としての魅力”
が、ありました。

勿論妻は、このことを。



知りません。
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