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平七とたけ・脇本陣に残された夜話

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昔々。
伊豆の国は中郷に、平七という若者が住んでいました。
ある日平七が三島宿の親方宅で行われる祝言に招かれ、
大変馳走になり遅くなりま親方には
「泊まってゆけ」
と勧められた平七ではありました。
が、月の明るい夜でしたので断り、
深更になってはおりましたが、土産を片手に
月明かりの中を家路につきました。
祝言での振る舞い酒にいささか酔いがまわりまして
、 足取りは危なげでしたが夜風が酔いに心地よくv ふらふら田んぼ道を歩いておりました。
突然前の方で女の甲高い声がしました。
「助けて!」
見ると女が野良犬に追われこちらに馳けて来るでは
ありませんか。
このあたりでは見かけない美しい女の人でした。
血相を変えた女の人は、平七を見ると
「お兄さん、どうぞお助けくださいまし。」
と哀願しました。
野良犬を追い払ってやると、その女は
、 「まだ怖うございます。後生だから家まで。」
と申します。
恵美(人妻)
平七が家まで送ると、
「茶でも。」
彼にしてみればせっかく誘われているのに
断るのも野暮だと思い
誘われるまま・・・・。
結局、平七はその夜明け方まで
その美しい女人と契り合い過ごしました。
何度も何度も気を遣り、翌日はどのように
その家を出て、どのように自分の家までたどり着いたのか
全く覚えていませんでした。
が、天女かと見紛うばかりの 美しい女人の裸身だけは脳裏にこびり付いて
おります。
この綺麗な女人は“たけ”申しまして
お女郎さんをしておりました。
三十七の歳。
年季が明け、裏富士を越え数日歩いてたどり着く遠い
故郷に帰ることになりました。
が、ただ一つ気掛りがありました。
産み別れた我が息子、平七のことでございます。
今のように気軽に生まれ故郷と三島を気軽に往還する理由には
参りません
還れば女人は特に移動の自由はございませなんだ。
まだ平七が独り者だという噂を聞き及び不憫に思い
(苦界に沈んでしまい母として、なにもしてやれなかった。)
(出来ることと言えば我が身を息子に開くことしかできない。)
(それならば・・・)
と考えた母親のたけでございます。
徳川から明治天皇の御世へとなりまして
その治世、富山の薬売りの行商が伝えたお話 として、脇本陣の宿帳に残されたものです。 その行商が、たけが故郷へ帰り産んだ実の息子 平七の種なのかはてさて何方もご存じなく。
ただ、“たけ”の人別帳には
故郷に帰ったたけが帰り着いた日より十月十日後
“父なしの男子“を産む。
としか記されておりませなんだ。

はてさて。
その脇本陣に泊まった富山の薬売り、
血の繋がった息子の平七と、母たけの間に
成した子なのか・・・。
富士のお山だけがご存じのようで。

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