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想いは巡りそして虚空(アカシヤ)へ-実母の胎内

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私が中学二年のとき、世の中は教育ブーム。
“いい高校、いい大学、そしていい会社”
世の中がすべてそれを中心に回っているようだった。
しかし私の家は相も変わらず貧乏一直線。
中学に進学して一ヶ月位の間私は、学生服を着ていなかった。
要するに買って貰えなかったのだ。
後で母に聞いた話だが、勤めていた工場で卒業した人の物を貰ったらしい。
中学生になっても相変わらず喧嘩ばかりしていて、
誰からも相手してもらえず、声さえもかけてもらえなかった。
それでも母は優しく唯一私の味方だった。父はもう一年近く顔も見ていなかったが
そんなことはどうでもよかった。
中学になって始めた新聞配達のアルバイトの給料は、
「自分のために使いなさい」
と言っていたので内緒で畳の下に隠して置いた。
そして中学二年の晩秋。
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共同の流し場で、まだ帰らぬ母に代わり同じアパートのおばちゃんに混じって
米をといでいると、いかにもそれ風の男たちが家に入っていった。
あわてて部屋に戻り、
「あんたら、何やっていんだよ」
そう言って一人に掴み掛かったが、腹を殴られ畳に投げられて意識を無くした。
どれくらいの時間が過ぎたのか、気がつくと私のとなりに座り込んで静かに泣いていた。
部屋には男たちの姿と一緒にわずかな家具もなくなっていた。
電気の球さえ持っていかれた部屋に大きな月が光を注いでいた。
私にきづいた母は心配顔で
「大丈夫?」
と寄り添い私は母を抱きしめ
「大丈夫だよ」
抱きしめた実母はとても小さく頼りなげだった。いつも私をかばい味方になって
くれていた母は、実際にはこんなにも小さく、華奢な女性だったのか。
いままでの自分の蛮行が急に悔やまれ、勝手に目から涙があふれ出てきた。
力いっぱい抱きしめ、
「母さん、ごめんね、」
「ごめんね。」
そう繰り返した。
見上げる実母の目にも涙がいっぱいだった。
そして。
求めるように唇を重ねてきた。
私は当たり前のようにおっぱいをやわらかく揉んだ。
大きくて柔らかくて温かい。実母の着衣を脱がせ自分も全裸になった。
肌と肌が直接触れ合うとそこから溶けていき、どこまでが自分の体なのか
わからなくなった。
どうしてこんなにも落ち着いていられるのだろう?
「お兄ちゃん」
の家では、胸がはりさけそうだったのに。
相手が母だからだろうか。?してはいけない事をしているのは、判っている。
だけど、とにかく優しく、守ってあげたかった。
実母の全身に手を這わせ舌で味わっている間、母の気持ちは、
母と女の間で揺れ動いていたと思う。
実母の喘ぎ声は、耳が溶けるほど甘く艶しかった。
「母さん挿れたい。」
それだけ言うと母はそっと脚をM字に開き手を添えて導き入れた。
快感が全身を包み腹筋と背筋が同時に萎縮して
何もない部屋に母の喘ぎ声と濡れて
擦れあう淫猥な音が響いた。
「母さんもう」
それだけ言うと実母は私を更に胎内深く引き寄せた。
尿道を精子が駆け上がり
母の子宮に呑み込まれていった。
あのとき銭湯で思った夢が叶えられた。
三年前他界したがいい思い出です
後から聞いた話によると
「お兄ちゃん」
たちは無理心中したそうです。
お姉ちゃんとお母さんのお腹には子供がいたそうです。
もしかしたら私の?
そう思ったこともあったが、
どちらもお兄ちゃんの子供であってほしいと思っています。
遠い異国の地で信じあえる家族がお互いを求めあってそこに参加できた私は
幸せものかもしれません。
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